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人権論の現段階

立命館大学  大久保史郎

中国人民大学(09.11.28)

はじめに

日本の政治?憲法情勢:あらたな時代のはじまり?

*戦後「半永久政権」自民党政権から 民主党政権への交代

*「改憲危機」からの脱出?

*貧困?格差の「構造改革」からの脱出?

*戦後「脱亜入米」からの離脱?-東アジア共同体の希望?

 主題

日本国憲法に登場した人権条項を手がかりに始まった戦後日本の人権論がどのような経緯をへて、「現段階」に至り、何を課題としているか。

1) 戦後人権論の軌跡と特徴

1)1945~  日本国憲法の制定―帝国憲法の廃棄

2)1946~1952 占領期

前半 戦後改革―労働運動

後半 逆コース?講和?安保条約

3)1950年代 改憲―警職法?安保改訂-9条論

4)1960 年代 高度経済成長

権利闘争―経済成長?解釈改憲―憲法判例の形成

5)1970年代  石油危機と経済転換―企業社会日本へ

司法反動―憲法判例の逆転の時期

 戦後人権論の限界

現代人権論の模索

(1) 1980年代  大衆化社会、高度消費?管理化社会―病理現象

現代的な人権現象―「現代人権論の模索」期

個人主義的人権論の主流化

(2) 1990年代  冷戦構造の崩壊とグローバリゼーション

「近代人権原理の相対化」と近代人権論批判

大衆社会論から公共性論(=市民社会論)

現在

グローバリゼーション下の平和?人権?民主主義への希求

問題:

80年代以降の人権論において、人権の個人主義的理解が「通説」 化しているとすれば、

それは、どのよう経緯と社会的背景の下に一般化したのか。

人権をもっぱら「個人」の視点からとらえるのが近代人権論、憲法論?

戦後日本において、人権の個人主義的把握は自明だったのか?

個人としての生き方や自律が容易に否定される日本の現実―「過労死」に象徴される企業社会日本―をどのように捉えるか。

「個の解放」や「自己決定」が求める個人主義的理論?学説は現実とどのように向き合うのかー個人主義的人権論とこれを核心とする近代立憲主義論の日本的なあり方

個人主義的人権と現代民主主義論―公共性論?正義論―の関係

Ⅰ 戦後人権論の軌跡と特徴

(1) 戦後人権論の形成と特徴

*日本国憲法:西欧近代立憲主義の正統原理を継受:

近代から現代までの市民的自由や平等、社会的権利と違憲審査制を導入。

*しかし、近現代の人権思想?規範を自覚的、主体的に受けとめた理論を構築しえたのかー模索―停滞や逆行の軌跡

 戦後人権論の出発

伝統的憲法学-人権論なき憲法学

「人権体系論」:自由権と社会権:国家からの自由と国家による権利?利益

―権利?自由の歴史的、実質的な価値に着目し、人権主体の側から具体的に構成する理論的発想を欠く―伝統的?通説的な憲法学

b) 「基本的人権が抗議概念であるならば、戦後日本において団結権こそまさに基本的人権たる性格を顕した」

c) 近代「市民」の主体的な権利?自由―団結権も市民的自由も

 人権制約概念としての「公共の福祉」論の克服

―主戦場としての公安条例と官公労働者の労働基本権

―東京中郵事件最高裁判決(1966)

ⅰ)28条労働基本権を「経済的劣位に立つ勤労者に対して実質的な自由と平等を確保するための手段」:生存権を基軸にして、近代人権としての自由と平等と、集団的、社会権的な基本権が密接不可分な関係にあることを認める。

ⅱ)日本国憲法の人権体系を「日本国憲法の生存権の保障を基本理念とし、財産権の保障と並んで勤労者の労働権?団結権?団体交渉権?争議権の保障をしている法体制」とした。

―東京都公安条例判決の空洞化:一連の下級審判決 

まとめ: 戦後人権の実際の軌跡は、個人の権利?自由ではなく、集団的権利の領域において、また、人権体系論上の「国家からの自由」ではなく、「国家による権利」領域において、人権一般の制約原理である「公共の福祉」への対抗が現実化したことを示す。「国家からの自由」の役割を「国家による権利」が担うというパラドックシカルな過程。

Ⅱ 司法反動:戦後人権論の限界―70年代

 司法危機―司法反動と憲法訴訟論:

下級審の九条裁判?人権裁判の進展と最高裁憲法判例の「逆転」

―「国民全体の共同利益」―議会制民主主義論?財政民主主義論の制度原理の優位

―人権相互間では精神的自由よりは経済的自由が優先―企業法人の優先的な扱い

― 「相互の社会的力関係の相違」による「劣位者」に対する「優位者の支配力」は、近代自由社会の「私的自治」に結果である。

―司法と違憲審査制は、強力な司法官僚制の統制下―政治?行政機能の補完

 しかし、憲法判例は規制権力や秩序優位を旨とするが、人権規定を頭から否定せず、規制権力との均衡?衡量を立て前とする憲法解釈?人権解釈が基調―この意味での日本国憲法の人権体系と違憲審査制の「定着」

 憲法判例批判としての憲法学(憲法訴訟論)の限界=憲法学(解釈学)の限界

当時の憲法訴訟論=憲法解釈学への批判:「訴訟になじむ論理を犠牲にしてでも維持しなければならない憲法論もあるはず」。

(4)憲法判例の実際と憲法訴訟論の乖離と「会社主義」、「企業主義」と呼ばれる特殊日本的な様相への対応

Ⅲ 現代日本社会と現代人権論(1980年代~)

状況

 ① 企業社会―企業支配と現代的、大衆社会的な社会構造の確立

―生産?労働関係から消費生活?地域?学校?家庭へ

非権力的な介入、規制?誘導を多用する統治

直接的,、刑事的な抑制から、間接的?行政的な規制?管理へ

「人権体系論」の修正:国家を基軸とする憲法学?人権論は、人権―社会―国家の基本構図を見渡した理論的な再構築の必要。

a)日本国憲法の背後にある近現代憲法の基本思想や原理をとらえなおして、現状認識の視点を新たにする理論?原理志向の方向であり、

b) 変動期であるからこそ、その社会的実態と構造に正確に認識し、これに法理論を基礎づけようとする方向である。

c) 戦後憲法学は、憲法判例批判としての「解釈学」的理論と「社会科学」的理論という両面で、新しい歴史的現実に切り込む視点?方法の必要。

④ しかし、理念的な個人主義的憲法学の主流化へ

(2)近代立憲主義と反結社個人主義人権論

樋口陽一の近代立憲主義論と個人主義的人権論

「個人と主権的国家の二極構造」の決定的重要性―

「1989年の日本社会にとって、今日なお、中間団体の敵視のうえにいわば力ずくで『個人』を析出させたルソー=ジャコバン型モデルを、そのもたらす痛みとともに追体験すること」が必要。人権とは、「自分自自身の意志によってすべての社会関係をとり結ぶ "個人"の自立と自律を前提とする」、「場合によっては『人間らしさ』を犠牲にした硬質の生き方を要求する」というものである。

*「方法としての個人主義的憲法観」

「かつての家、現在の『会社社会』―企業別労働組合という労働運動のあり方をふくめてーという日本社会そのものの現代の状況(「学説状況」では必ずしもないにしても)を勘定に入れる限り、中間団体による自由よりは、中間団体からの自由の追求を第一義的に置く方が急務ではないか」

* 樋口は、アトム的個人の危険性を犯してでも追求されるべき「規範創造的な自由」―主権主体の構成要素としての個人」=citoyen/市民をいかに創出―形成するか。

(3) 集団?団体と人権論

 1)多様な中間団体をすべて「結社」に置き換えることができるか。

ⅰ)「法人/団体の人権」論批判

ⅱ)憲法上の多様な団体?集団

結社(21条)?企業(29条?22条)?宗教団体(20条)

労働組合(28条)?大学(23条)?地方自治体(92条)

ⅲ)社会的な権力としての団体?集団批判の必要―プロ人権か、アンチ人権か

―個人の創出と集団?団体とのアンビバレントな関係

ⅳ) 現代立憲主義論?民主主義論にとっての集団?団体研究

―市民社会論あるいは「公共性」論の新たな展開:「アソシエーション」論

ⅴ) ジェンダー(フェミニズム)論

近代人権のフェミニズム―ジェンダー差別論―二四条家族論

現代社会の自由?人権状況

自由の論理と保護の論理―人権衝突の社会

最近の事件:アパートへのビラまき事件

マスメディア?インターネット社会の人権侵害と国家管理

2) 安全?安心の社会づくりー対テロ戦争

(補足) 現代人権論の方法

(1)人権論研究の方法論

人権を一つの社会現象として把握する方法論:規範?意識?制度:客観的認識

―長谷川正安は「基本的人権を研究する場合、人権問題としてあたえられ現実の、複雑な社会現象を分析し、そこに内在する人権固有の要素とその構造を明らかにしなければならない」

基本的人権を「権利として成立させている憲法規範の存在」

 「それを正当化している人権の思想」

「その規範としての実効性を担保している法制度としての国家―とりわけ裁判所の機能と機構の実態」

④「基本的人権という憲法的社会現象の三つの要素がどのように組合わされて具体的人間関係―法的な社会関係=法関係:客観的認識

(2) 憲法解釈論と人権研究―主観的な人権認識

   限りなく主観的,規範的な存在である人権をどこまで客観化してとらえるか、とらえられるか

むすび

* 戦後人権論では、「集団から個の実現」という自己認識と社会的価値観が前提となり、また、「国家による権利」の領域で「国家からの自由」獲得というパラドックスが存在した。これが八〇年代までに転換し、"集団"一般への対抗が"個"の実現の前提であるという自己認識、社会的価値観が台頭し、個人主義的人権論が有力になった。

* しかし、現実は、圧倒的な企業社会の支配?権力の下での個人主義であった。しかも、いまや、企業主義社会の安定は失われ、個人?集団と社会と国家の関係がより立体的、構造的な関係として立ち現れ、これが一国的なものからグローバルなレベルへと広がっている。

*  人権論は、この日本的パラダイム、日本的な現実、実態から離れた理論展開であってはならない。にもかかわらず、指摘できるのは、戦後日本においても、世界的にも、人間の尊厳をふまえた各人の自由?平等なしに、社会形成はありえないことの普遍性である。グローバリゼーション下の「人間の安全保障」?「国際人権」、立憲的民主主義の浸透がこれを示している。